半農半菓
古代からの手紙 
2004年5月18日
厳島神社参拝航海
厳島神社参拝航海
葦舟プロジェクト
葦舟プロジェクト
「いーーちに!! いーーちに!!」
気がついたら、僕は葦の舟の上にいた。
大田川を出て、宮島の大鳥居をくぐり、厳島神社に参拝するため。
真っ青な空と、穏やかな波の海の上。

「葦舟」。
そんな言葉に惹きつけられた僕が、山口から、のこのこ広島まで出かけ始めたのは、
2月も終わりの頃。
葦の束を麻縄でしばってつくる全長15メートルの葦の舟。
知人宅でたまたま出会った石川仁くんは、今回の葦舟作りを指導する。
彼は、いつかもっと大きな葦舟で太平洋を渡りたいという。
今回の広島版はそのテスト航海も兼ねる。

葦を刈っていただけのときは、これが舟になることを想像もできなかった。
途中の作製作業はほとんど手伝えないまま、月日が過ぎて、
4月、広島に行ったときには、葦の船はすでにその姿をあらわし、
宮島へ出航するときを待っていた。
広島の有志たちが2ヶ月をかけて、様々な想いを胸にみんなで作り上げたその姿は、朝の光を浴びて、神々しいまでに光り輝いていた。
「行ってらっしゃーい」と見送って帰る予定だったのに、何故かわからぬままに漕ぎ手になることに。
たまたま着ていっていた(というか、この服しか持ってない・・・)作務衣が、絵になるからという理由らしい。
昔むかし、彼女とボートを2回くらい漕いだことがあるというだけのど素人の僕。
この葦舟、ほんとは帆を張って、風と潮の流れに身をゆだねて進むのだが、今回は短距離の数時間の旅。
櫂をもつ漕ぎ手が10人くらい。
舵はなく、後ろで二人が櫓を漕いで、舵をとる。
櫂の漕ぎ手として乗ったのだが、途中でいつの間にか、したこともない櫓の漕ぎ手に。
最初は長さ4メートル以上はある櫓に翻弄されて、波に揺さぶられる度に、櫓が外れては直し、外れては直し、漕ぐより直す時間の方が長かった気もするが。
下手も続けりゃ、それなりにできるようになったみたいで、後半からは景色を楽しみながら、自由自在に方向も変えられるようになった。
(といっても気を抜くと、がたっと外れて、あたふたしてましたが・・・。)

逆風の中、帆を張れずに、ひたすら人力で漕ぐしかない・・・。
手を休めれば、後ろに押し戻される・・・。
そんな状況の中でも、心静かにしてみれば、ふとどこか懐かしい、五感をくすぐる気持ちよさ。
機械の音のまったくしない舟の上。
はだしの足裏に伝わる草の感触。
海のにおいと草のにおいが混じって、なんともいえない香りがする。
ふと「縄文」といわれる時代に心を馳せる。
天文学も操船も生きることすべてが、機械というものさしでなく、自分の人間としての能力で推し量って考え、ものにしていた時代。
そこにはきっと五感だけでなく、僕たちが長い間使わずに忘れてしまった能力もあっただろう。
そんな忘れかけてた感覚を刺激されるのだろうか。
「初めてなのに懐かしい」
それがこの葦舟に関わったすべてを通して云える感想。


「縄文」と「弥生」。
人の歴史は大きく分けてこの2つに分類されると思う。
「弥生」とは歴史のいう弥生時代だけでなく、その延長線上にあるこの2000年の人類の営み。
それは、自然を、人を、都合のいいように変え、征服し、支配する文化。
少しでも便利に、少しでも快適に、少しでも豊かになるように、物を作り、加工し、発達してきた文化。
物質的な富と繁栄を追い求めてきた時代。
それは常に、競争し、奪いあい、持つ者と持たざる者、支配するものとされるものを生み出してきた。
特にこの数百年、数十年とそれは加速度的に進み、今まさにその極にあるといえるだろう。
それが今の世界の姿・・・。
イラクもパレスチナもそのほんの一部分。

対照的に、「縄文」とは、自然を敬い、自然と共生する文化。
かつて一万年以上続いてきた人の営みのあり方。
互いに相手を認め合い、分かち合い、話し合いと扶けあいをルールとして動く社会。
最近の調査、発見により、縄文の歴史はどんどん遡り、その文明は思っていた以上に高度だったことが判明しつつある。
そして世界各地には、「縄文」の影を色濃く残す先住民族の社会がある。

「弥生」と「縄文」。
物質文明と精神文明。
競争と共生。
支配と調和。
左脳と右脳。
論理と直感。

「縄文」から「弥生」へ、それは、右に振り切った振り子が左へと振れ始めたとき。
そして「現代」、振り子は左に振り切り、その方向を見定めようとしている。
では、これからくる時代とは?
また「縄文」へと戻るのだろうか。
僕は「縄文」と「弥生」とが統合していく時代になると思っている。
「縄文」
それは人と自然とのハーモニー。
人と人とのハーモニー。
その「縄文」の精神の基盤の上に、「弥生」のテクノロジーが乗っかるとき、
はじめて人は、この混迷の星とともに次のステージへと進めるのだろう。
それは「弥生」の極にいる僕たちが、「縄文」の智慧を思い出していくことによって、創り出していくもの。
それこそが今この時代に生きている僕らの世代の仕事なんだと思う。
今回、たくさんの若者たちがこれに携わっていたのも、意味深だ。
葦舟は、きっと僕らの中に眠る「縄文」の記憶を刺激してくれるだろう。


P.S.
葦舟建造中の寝泊り小屋に、「チセ」と呼ばれるアイヌ式の葦の家をみんなでつくった。
その「チセ」が解体後、我が家に来ることになった。
近々、建てはじめる予定。
ちょっと手伝ってみたい方、ちょっと見るだけ見てみたい方、
HapaHapa!!(スワヒリ語で「おいでおいで」)

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